【古い雑誌:CQ ham radio 1964年7月号】記事に、「私達のトランジスタ教室」があります。わかりやすい記事で参考になりました。また、別の記事で、私にはとても難解ですが、「特集トランシーバの設計と製作」が編まれています。この特集の最初に出てくる製作例は、トランジスタ式の移動用トランシーバです。まだ、真空管の製品が多い時代に、かなり先進的な製作記事です。さすが CQ ham radio はアマチュア無線専門誌です。
【古い雑誌:初歩のラジオ1958年12月号】記事に、トランジスタが出てきています。増幅などの原理は真空管で知りましたが、このころ新しくトランジスタという便利なものを知りました。しかし、その後、アマチュア無線を始めるときは、真空管の無線機でした。私が買えるキットが真空管でしたので、真空管になりました。まだ一応持っていますが、飾りになっています。
【古い雑誌:子供の科学1955年6月号】記事に「単球ポータブルラジオの作り方」があります。そのラジオのケースは、木製です。ケースの大きさは、子供の弁当箱ぐらいです。真空管式です。真空管は、1T4という親指ぐらいの大きさのものを使っています。実態配線図が付いていますので初心者でもわかりやすくなっています。部品一式は科学教材社の扱いです。私も作ってみたくなり、取り寄せました。このようなラジオを作るのは初めてでしたので、一生懸命でした。その後の電子工作の勉強になりました。
【NTT船舶電話】かつて営業していた港湾電話業務です。1953年開始、ただし途中からこの名称が使われています。150MHz帯FMです。1986年終了しました。代替手段は携帯電話です。
【KDD国際無線電話】かつて営業していた遠洋航海向け無線電話業務です。短波SSB手動交換式です。1936年開始し、2003年終了しました。代替手段はインマルサット衛星電話です。
【公衆無線事業変遷】1921年磐城無線局完成→1925年磐城無線局を政府が現物出資して日本無線電信株式会社設立。1932年日本無線電信株式会社とは別に、国際電話株式会社設立→1933年国際電話株式会社が名崎無線送信所建設。1938年両社が合併して、国際電気通信株式会社→1947年逓信省に移管→1952年日本電信電話公社→1953年日本電信電話公社から国際電信電話会社が分離独立
【依佐美送信所は塔高250m】1929依佐美送信所完成→1997年鉄塔解体完了。日本無線電信株式会社運用、戦後は米軍運用。愛知県依佐美村(現:刈谷市)、受信所は三重県海蔵村(現:四日市市)。ドイツ製テレフンケン式送信機。送信周波数17.442KHz(超長波:VLF)。高さ250m。ヨーロッパと通信。
【針尾送信所は鉄筋コンクリート】1922年佐世保無線電信所針尾送信所完成。戦前は日本海軍、戦後は佐世保海上保安部と海上自衛隊が共同利用。現在は新しい設備に任せ、送信していません。国の重要文化財となっています。
【船橋送信所は傘型アンテナ】1915年千葉県船橋市行田海軍無線電信所船橋送信所開業、1916年逓信省通信所併設、ドイツのテレフンケン社製送信機をシーメンス社施工、工事途中、第一次世界大戦(1914-1918)に日本は宣戦布告、シーメンス社撤退。途中、建て替えがありましたが、それも1972年までに解体されました。
【長崎無線変遷】1908年大瀬崎無線電信局→1932年長崎無線局→1949年長崎無線電報局→1993年長崎無線電報サービスセンタ→1999年業務終了。長崎無線91年の歩みが綴られ、無線通信の仕事の様子が語られています。
【銚子無線変遷】1908年銚子無線電信局→1949年銚子無線電報局→1993年銚子無線電報サービスセンタ→1996年長崎無線へ業務引継ぎ。日本での無線電報業務はここから始まります。設立は逓信省です。設立されたのは、千葉県銚子、長崎県大瀬崎、和歌山県潮岬、和歌山県角島、北海道根室市落石の各無線電信局です。大瀬崎無線は後に長崎無線になります。
【無線講習変遷】1893年電信協会業務開始。協会とは別に1900年安中常治郎が安中製作所を創業→1903年安中式無線送信機製造→安中電機製作所が帝国無線電信講習会を開講→1918年電信協会が引継ぎ無線電信講習所→1942年中央無線電信講習所→1949年電気通信大学
【有線講習変遷】1871年修技教場→1874年修技学校→1886年電信修技学校→1887年東京電信学校→1890年東京郵便電信学校→1909年逓信官吏練習所→1951年中央電気通信学園
【SSBの時代】1864年マクスウェルが電磁波の存在を予言しました。1900年フェッセンデンが無線電話の実験を行いました。そうした技術の上に、1923年アメリカのAT&TがSSB方式での大西洋横断通信実験をしました。そして、第二次世界大戦のころまでには短波無線といえばSSB方式が当たり前になりました。SSBは20世紀の始まりの頃に現れ、中頃に最盛期となり、20世紀終わりの頃には、他の方式に席を譲ることになりました。短波無線そのものが、陸上長距離通信に於いて光ケーブルに譲り、船舶通信に於いて人工衛星に譲りました。デジタルに引き継がれました。
【スマホの使い道】スマホも無線、アマチュア無線も無線、どちらも無線です。ならば、スマホでアマチュア無線ができないものでしょうか。今できることは、パソコンとのメッセージのやりとりでしょう。無線機とのメッセージのやりとりになると、無線機側の対応や法的な問題の解決が必要でしょう。当面できることは、スマホで無線日誌をつけること、スマホの地図や位置情報を活用すること、QRV情報を知ることなどでしょう。
【インターネットによる中継】アマチュア無線の世界でもインターネットによる中継が進んでいます。HFのように大きいアンテナや無線機を使わなくても、VHFの小型の無線機で世界中のアマチュア局と交信できるのです。ただ、それには、アマチュア無線とインターネットを接続する装置が必要です。ノードと言います。ノードは小型CPUと無線機で構成されます。
【少年たちの関心事】昔は中学高校の無線クラブがあちこちにありました。今の中学高校はどうなのでしょう。今ではスマホのSNSなどが現れ、いつでもどこでも友達と通信できる時代です。携帯電話の前にポケットベルが流行した頃もありました。ポケットベルも無線ですね。やはり、無線は便利です。スマホが現れる前は、今よりはアマチュア無線が盛んだったように思います。時代はどんどん変わっていきます。これからどうなるでしょう。
【年寄りの楽しみ】まだ携帯電話が普及してなくて、車に無線機を積んでるのをよく見かけたころ、そのころの若者たちは、今は、定年退職で第二の人生を歩んでいることでしょう。一時中断していたアマチュア無線を再開したという話も聞きます。それには、いろいろ訳があると思います。アマチュア無線が流行しだしたころは、まだパソコンがありませんでした。パソコンが出て、インターネットが現れ、スマホが容易に手に入るようになって、趣味が分散したのでしょう。それも一段落し、再びアマチュア無線が見直されているとも考えられます。
【アマチュア無線今昔】50年ぐらい前に144MHz帯のトランジスタ式の無線機が発売されています。小型で軽量になり移動にも便利な製品が現れました。車に積んで移動することが多かったです。手に持って移動する無線機が出てどんどん小型化してきました。携帯電話機が小型化した時期ですね。今では、デジタル無線機もでています。
【電気の話】電気が生活の中で便利に使われるようになったのはいつごろからでしょうか。火の利用は非常に古いのですが、電気の利用は、それに比べるとずっと新しくなります。1800年にボルタ電池が発明されました。ボルタはイタリアの科学者で、その名は、電圧単位のボルトになっています。1827年オームの法則が発表されました。1838年モールスが電信の実験を公開しました。1864年マクスウェルが電磁波の存在を予言しました。日本では、1886年東京電灯が開業しました。1895年京都で電車が走りました。1925年日本でラジオ放送が始まりました。
【掲示板と写真とCQ】皆さんの声をお聞きするために掲示板を、移動運用場所の紹介のために写真を、そして無線日誌としてCQCQ各局どうぞを載せてまいります。皆さんとの会話あってのアマチュア無線です。それを記事にしていけたらと思います。
【私の持ち物】アマチュア無線の設備は、今は144MHz帯,F3E,5Wの移動用無線機1台です。この無線機は、2018年に購入したばかりです。小型で移動運用には便利です。高台など見通しの良い場所で運用したいと思っています。